クレイジー人材を育てる?
集団行動キライ。
学校キライ。
制服キライ。
これだけ見たら厨二病のようだけれども…(笑)
両親は平凡に平凡に生きるのが幸せと信じている人種。
そんな親に「規格外だった」と不良品扱いされたこともある。
勝手に作った勝手な規格に当てはめる行為ほど勝手な行為はない。
挙句、規格外だからと嘆く身勝手さ。
親が子に期待してはいけない所以。
何も期待しない、普通でいいと言うけれども、
「平凡に、普通に」という"期待"が重い子だっているんです。
古の時代から集団の中で目立たず平凡にいる方が生きやすい国だからこその教育法。
集団に属さないと生きていけない国だもの。
そして規格はなるべく統一したほうが操作する側にも好都合。
私がサラリーマンのスーツ姿に萌えないのは同一規格に見えてしまうから。
私が吹奏楽部に入ったのは朝礼や集会の時にあの大勢の生徒の塊の中に入らないで別の場所にいられるから。
平凡、普通、平均、スタンダード、この辺に魅力は感じない。というかどうでもいい。
世に多くの影響を与えた人物はそのほとんどが「奇人」
だからといって奇人を育てる"教育"って必要?
奇人なんて育てなくても勝手に奇人になる。
個性は伸ばすもんであって作るものではない。
日本でクレイジーヘアデーなんて作ったら登校拒否が増えてしまいそうよ。
その前に親からのクレームですね…。
個性を伸ばす為に何か対策をというなら、一つだけ。
自由な時間を増やすこと。
子供にはこれだけでいいと思う。
脳ミソが自由じゃないと創造性なんて生まれない。
でも子供を自由にさせるって難易度高いです。
期待とか依存とかを捨てなきゃいけないから。
個性を伸ばしてあげるとかクレイジー人材を育てるなんておこがましい。
そんな勝手な押し付けがそもそも自由じゃない。
脳ミソの自由時間があれば勝手に育つから。勝手に伸びるから。
早朝から4時間も電話で話してしまうクレイジーな友人は、制服が好きだとか。
組織に属してその集団に紛れることが出来ているという安心感があるらしい。
制服って「普通」が分からない人が「普通」になったつもりになれるツールでもあるみたい^^
それはそれで怖いよね。
異端な人が紛れるにも絶好なわけで。
注目されないだろう「規格」ってのが分かりやすいわけで…。
逆に「普通」から逃げて生きてきたような私のほうが「普通」なのかもしれない。
「普通」にしてたら「普通」になってしまうからあえて「普通」を拒否する、みたいな。
あーややこしい。
まさに今朝ちょうどこんな話しをしてたところです。
だから4時間もの長電話になるわけで^^
ただやっぱり、変わり者には生きづらい世の中です。